私は逃げた。祖母を理由にして。
東京暮らし6年目。
社会人2年目を迎えた春、私は地元に帰ることにした。
新卒で入れてもらった会社は、辞めた。
将来のビジョンとの不一致、「営業」アレルギー、ある顧客との確執、
先輩の裏切り、評価への不満。
いろいろあったが、どうしても地元で仕事がしたいのだと、上司にはその一点を訴え続けた。
いや、 「地元で仕事がしたい」というのはとってつけたような理由で、どちらかといえば、79になるおばあちゃんが心配だったから、地元に戻った。
私は、仕事というものは「家族」のためにするものだと、この時は本気で思っていた。
単身赴任の父に代わって、スーパー母ちゃんをやりきった母のことは心から尊敬していたし、感謝していた。
からこそ、その恩に酬うために働くのだと、思っていた。
それは、第二の育ての親である、おばあちゃんに対してもそうだった。
母はパートもしていたから、4人兄弟の世話を
大好きだったおじいちゃんを亡くし、すっかりうつっぽくなってしまった。
おばあちゃんは認知症になったらしい。
やっと取得できた10月の夏休みに、私は地元へ帰った。
その時、祖母はすっかり小さくなった背中を見せながら、「死にたい」と言った。
私は長女で、4人兄弟だが、兄弟は一人残らず地元には残っていない。
今年一年、母は高校生で単身上京している弟のため、地元にいたりいなかったりの生活。
地元に残っているのは唯一、父だ。
だが、父が楽観的すぎることを、私は一番知っている。
頼みの綱は母だが、「血がつながってないから」ということを理由に、祖母には言いたいことを言わないし、「世話をする」のは自分ではない、とはっきりと思っている。母は、そういうところがある。
ここで、じゃあ、私が帰る、となったのは、もちろん、私のその時の仕事に対する考えの甘さでもあった。
しかし、私はこと、家族について責任を持ちすぎるところがあるのは事実だ。
一般的に「責任感が強い」と言われる長女の中でも、(何の自慢にもならないが)トップレベルの責任感の強さだと思う。
だから私はよく損をする。
でも、それが私の唯一の個性でもある。